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横隔膜ヘルニアで生まれたふたりの赤ちゃん

25歳の時に2年目の小児科ローテート研修医として勤めていた道東の病院は、
外科や整形外科、脳神経外科などの機能がメインの病院でした。
すぐ近くに新生児集中治療室(NICU)の備わった赤十字病院があり、
30週未満で産まれる赤ちゃんは赤十字病院のNICUに入院をお願いし、
こちらはお医者さんが少なくNICUもない、耳鼻科と歯科との混合病棟でした。
基本的には低リスクで、また医師の少ない地域でもあったので、
夜間の救急外来対応や、低リスク分娩のベビーの対応は研修医だけで担当させて頂いていました。
独身の20代半ばの男性が、毎日ベビーに触れる機会なんて普通はありません。
出生の瞬間や生まれたばかりの赤ちゃんに触れさせて頂くだけでも、
臨床経験だけではなく、それ以上にとても貴重な経験をさせて頂きました。
病棟に大きなトラブルはなく、部長先生も久しぶりに家に帰られ、
ベビー室で看護師さんと雑談でもしながら退院サマリーを書いている、
そんな平穏な9月の半ばの夜勤の時間帯に突然、嵐はやってきました。
「分娩室で赤ちゃんが泣きません」

赤ちゃんはお母さんのおなかの中で徐々に身体が大きくなり、
腸などの臓器が収まる腹腔と、肺が収まる胸腔とを隔てる「横隔膜」が作られます。
ある日突然ではなく、徐々に形作られるものなので、始めはその境目がありません。
徐々に膜が広がり、最後に穴が塞がり、腸は腸として、肺は肺として、別々に、
お母さんの身体から離れた時にひとり立ちできるように育っていきます。
日本で年間で160~180例、生まれる赤ちゃんの3000~4000人に1人、0.02~0.03%の確率で、
その穴が塞がりきれずにお母さんの身体から離れる赤ちゃんがいらっしゃいます。
穴が残っていると腸が肺のある胸腔へ入り込んでしまい、肺の形成が不充分なので、
出生したその瞬間から上手に呼吸ができず、泣くことができません。
「先天性横隔膜ヘルニア」と言います。
出生した瞬間から自分の力で酸素を取り込み全身へ送らなければならないので、
高齢者医療と違って一刻一秒の判断と行動が患者さんの生死を分けます。
アプガースコアという基準をその場で適用し、
3分以内に迅速に気管内挿管、人工呼吸器管理を行います。
その間にもレントゲンを撮って、採血、点滴ルート確保など必要な処置がたくさんあります。
そしてその症状が重篤だと、穴をふさぎ腸を元に戻すための緊急手術が必要です。お母さんからすればこんなに不安になることはありません。
何時間も陣痛に耐えてやっと産んで、
おめでとうございますと言ってもらえるその瞬間に、
産んだ赤ちゃんが泣かず、何がどうなっているのかも分からずに、
まだ顔も見ていない自分の子がどこかへ連れて行かれてしまうのです。
札幌ならばすぐ近くに大学病院や小児医療センターなど様々な医療施設があります。
この地域に唯一のNICUが近くにありますが、そこには小児外科の医師がいません。
一番近くに小児外科の医師がいる総合病院は、100km以上離れた厚生病院です。
夜はヘリコプターを飛ばすことができないので救急車しか移動方法がありません。
上司の先生とふたりで、生まれたての赤ちゃんに小さな小さな挿管チューブをつけて、
小さな呼吸バッグを指2本で動かし、100km以上先の厚生病院まで搬送します。

身体管理のこと以外は全く会話のできない、2時間をかけた救急搬送。
赤ちゃんは本当に本当に、間一髪のところで、厚生病院まで搬送されました。
自分達の仕事はそこで終わりです。やりきったというか、
ここからの治療に携わることができないもどかしさというか、ただ単に疲れ切ったというか、
帰り道の救急車の道のりはただ眠りつきました。
厚生病院のNICUに搬送された瞬間に、主治医はそちらの先生にバトンタッチされます。
きっと夜中にまた、手術室で大変なオペの時間が経られ、
それから何日も、そちらの病院の小児科の先生は寝ずのNICU管理をされたと思います。
そして、数か月が経ち、赤ちゃんとお母さんが外来に戻ってこられました。
長い期間離れ離れになってしまっていた親子のマザリングのために、外来を受診されたのです。

それから小児科病棟もいろいろとあり、季節は移ろい冬になり、年が明けた翌年の1月、
少しだけ皆が忘れかけたその時に、同じ事態がもう一度、起こりました。
その時は当時5年目だったと思いますが先輩の小児科の先生が対応して下さいました。
2年目でローテーターの研修医と5年目の小児科医2人、それに部長先生。
当時は5年目の先生が大きく見えましたが、今振り返りってみれば、よくやっていたと思います。
年間の分娩数が数百、ほとんどが低リスクの小児科病棟で、
半年間に2度、先天性横隔膜ヘルニアの赤ちゃんが産まれてくることは珍しいそうです。
経験の長い小児科の先生でも、滅多に遭遇しない事態です。
前回の経験がありますから、状況の判断も手順も良く分かっています。
偶然なのですがやはり夜間だったので、救急車での搬送も同じです。
ただ、ひとつだけ違うことがありました。
赤ちゃんの肺が、前回よりもはるかに形成されていなかったのです。

とてもつらく気の毒なことですが、
その赤ちゃんが外来に戻ってこられることはありませんでした。
同じ病名で同じ病態なのですが、小さな偶然がたくさんに重なり、
それぞれの赤ちゃんは異なる運命を辿ることになりました。
どちらのお母さんもしっかりと懸命に、自分の子の命を守ろうとされました。
普段、子供がすくすくと成長をしていても、毎日が悩みと葛藤の連続だと思います。
そして世の中には、成長する過程で病気の治療が必要だったり、
ハンディキャップをお持ちのお子さんがたくさんいらっしゃいます。
きれいごとを申し上げるつもりではありませんが、
少なくとも今日の瞬間に自分の子供に触れることができて、子供も親を感じることができる。
そんなあたりまえの幸せをしっかりかみしめられることを、ありがたく思わなければなりません。
人間の命は時に、ほんのわずかな違いで、運命が変わってしまうこともあるのですから。
別に若い時の親と子供だけではなく、歳を老いても、恋人同士でも同じでしょう。
今は自分に言い聞かせているのですが、
つきつめれば仕事での出会いだって、同じなのかもしれません。

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