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多職種連携

今日はついにやって来ました。いい夫婦の日です。
夫婦関係って突き詰めれば人間関係の一番深いところなのでしょうか。
料理でもぐちゃぐちゃし過ぎると、
サラダボウルを通り過ぎてスクランブルエッグになってしまいます。
天ぷら料理や和食懐石って、生け花やフラワーアレンジメントと同じように、
多様性の中にも何かの方向性のあるデザインを感じ取ることができます。
考え方の多様性を重要視しながらも組織としてのベクトルを一致させる。
そんなところに、共通するものを感じてしまうのかもしれません。

身体の中にも組織はあり、「組織は組織、人間は人間、細胞は細胞、DNAはDNA」です。
人間の集まりを考える時は、「組織は人間、人間は細胞、思考がDNA」という風に、
人間の身体を診ることと、人の集まりを見ることはあまり変わらないのかもしれません。
人間の遺伝子コードは約30億あると言われますが、そのうち99.99%は同じです。
人間とバナナでも約50%は同じ遺伝子コードなのだそうです。
どうせ10000分の9999は同じなんですから、
人との違いやにこだわることにあまり意味なんてないのかもしれません。
けれども考え方の違いは、時に100%異なることがあります。
住まう場所や環境が同じだと当然であっても、
全く異なる場所にいると当然ではないことがたくさんあります。

日本ではあたりまえの左回りの台風が、
南半球に住んでいる人にとっては全く異質のものだったり、
でもやはりそれを否定しても仕方がありません。
日本的に表現する同調圧力などの考え方の同質性、
「死」を話題にすることを全て否定してしまったり、
逆に「在宅」以外を全て否定してしまったり、
「考え方の同質性」がある時に頭を出すと、
自分とは異質に見える対象を否定する考えに向きやすく、
思考停止に陥りやすくなります。
例えば侵襲的な検査や延命治療を全て否定してしまったりします。

医療や介護は考え方の多様性を取り込みづらい業界なので、
それぞれの病院が何を目指しているのか、その多様性に目を向ける方が面白いはずです。
そんな多様性を求める言葉のひとつに「多職種連携」というものがあります。
医師や看護師、薬剤師、社会福祉士など職種役割の違いについては、明確です。
在宅医療の世界では向く方向が同じである限り、医療職としては実は99.99%同じです。
0.01%の違いは職種としての役割の違いではなく、「考え方の多様性」です。
「誰にどのようなケアを行うべきか」は組織としてのベクトルですが、
これはチームのリーダー、医師でも看護師でも誰でも良いのですが
チームに対する責任と、責任感を持つ人が決めれば良いと思います。
別に医師が決めなくても良いんです。
「患者さんがこう生活できるためにどうしてあげようか」
いろいろ意見が出てくることが、「考え方の多様性」になります。

中央集権的なベクトル付けの弊害は、
「考え方の多様性」を押し殺してしまうことになります。
例えば治療ガイドラインとか児童育成協会とか子ども子育て未来局とか
なんとなくやわらかさを強調するようなネーミングでも、
トップダウンで治療方針や保育方針を決めざるを得ないので、
病院や保育所が個別に向いているベクトルの多様性を殺してしまいます。
人の身体や子供の個性や家庭環境などの
多種多様な事象をまとめなければいけないならば、統一した基準を作らざるを得ません。
しかしながら、身体や社会には、そこからはみ出る事象が必ず存在します。
日本は元々、外からの文化を受け入れて、人種以外の多様性を認めてきた国なので、
列島の中に国がたくさんあったり、様々な宗教が共存していたり、住まう場所で食事が異なったり、
今の地方自治を求める動きは、潜在的には多様性を求めていることの表れなのかもしれません。

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